新宿に生きる人たち

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[新宿に生きる女]●誌上展「したたかにたくましく」

[アサヒグラフ]

アサヒグラフ-新宿に生きる女

(朝日新聞社/1992年4/3号)

●絵と文…藤森玲子
 SMクラブの女王様、リーさんに会ったのは、風俗情報舐の主催する船上パーティーだった。長身で、黒のボディコンスーツ姿は、たくさんの人の中でも一際目立っていた。彼女と話をすると、新宿でSMクラブをやっているという。リーさんの堂々たる風貌に魅力を感じ、「絵を描かせてくれる?」とお願いしたら、「いーよー」と、拍子抜けするほど気軽に承知してくれた。店は歌舞伎町にあるワンルームマンション。中には鞭だの手錠だの、SMに使う道具がいろいろとあり、絨毯には点々と血の跡まで残っている。壁には〝奴隷″たちそれぞれの血でとった「チン拓」が飾られている。彼らの一筆が添えられていて、「粗チンで恐縮ですが、このよ一に拓本できたことを感謝しています」などと書かれている。籠の中には、直接ローをたらした後、冷やして型どった男性自身も陳列してある。ナチスの旗の前でボーズをとりながら、リーさんは、
「レーちゃんが絵の個展をやるなら、私もこのコレクションで展覧会やってみよーカナ」
 なんて、マジな顔で言う。
 ある時、彼女の店の女の子が行方不明になった。私の所ヘリーさんから電話があり、
「マミちゃんが、店に連絡もなしにずっと休んでいるの。電話も電報も打っているんだけれど……。とても心配で」
 と話す。その時、SMの女王ではあるけれど心根は優しい人なんだナと、彼女の素顔を見たような気がした。
  ×      ×
 昭和三十三年から占いを始め、ずっと新宿に店を構えている栗原さんという有名な女性がいる。店といっても、デパートの前で立っているだけだけど。それでも彼女に占ってもらいたいと、長い行列ができる。彼女が占いを始めたのは、赤線廃止後、職を失った女性達の相談を受けたのがきっかけだった。自分の「失恋」も一つの要因だった。ヤクザに嚇されたり、同業者からいやがらせをされたり。でも栗原さんは、ひるむ事なく堂々と続けている。彼女の〝弱い者の味方″という信念が、そういった人達を蹴散らすのだ。店が休みのある日、彼女の持ち場に占い師がいた。占い師が彼女を呼び止め、手相をみながら占いを始めた。どうも栗原さんを知らないらしい。そして、
「あなたは一週間後に死にます」
 と、のたまう。彼女は冷静に最後まで聞いてみることにした。
「僕の師匠に立派な方がいますから、その人に相談しなさい。手数料は十万円です」
 と、言われて初めて彼女は啖呵を切った。
「私を知らないの? ここで占いやっているのよ」
 相手は、あわてて帰っていった。彼女は、
「人の弱みにつけこんで、阿漕な商売をする人もいる」
 と怒りを抑えながら話した。
 大都会にいる彼女を求め、地方からたくさんの女性が来る。時代とともに相談の内容も変わってきている。少し前までは、不倫の恋で悩む女性が多かった。いまは、掛け持ちでつきあっていて、どの人にしようかと、ドライに相談してくる女性が多くなっているという。時代とともに女性の恋愛観や性意識も変わってきているようだ。
  ×      ×
 私の家の近くに三光市場がある。昭和四十五年にでき、地上げにもあわず、ビルにはさまれ、そこだけ時間が止まっているかのような、昔のたたずまいを見せている。小さな市場に肉屋、魚屋、雑貨屋、乾物屋、八百屋、豆腐屋が入っている。魚屋の大矢さんは十九歳の時、親の後を継いで仕事を始めた。新宿には大手のデパートをはじめ、中小のデパート、スーパーがひしめいている。そんな中で商売をするのはたいへんだろうという疑問に彼女は、
 「それが不思議なの。ここの近くにクイーンズシェフというデパートができる時は心配したけど、そこへ来るお客さん達がこっちへ流れてくるの。デパートが休みの時は、ウチも暇になる。結局、共栄共存ってわけね。いまはオフィスが周りに多くなって、住んでいる人も少ないから、他の土地から来ているお客さんも結構買いにくるのよね」
 と話してくれた。
   ×      ×
 新宿は夜も昼もなく、一日中動いている街。私自身も新宿に住まいがあり、当分離れるつもりはない。新宿にこだわり続けるのは、新宿という街自身に大きなキャパがあるからだ。きどらず、すまさず、太っ腹に誰でも受け入れてしまう街なのだ。
 住んでいるうちに、さまざまな職種の人と出会い、さまざまな友達ができた。中でも女性達は実に生き生きと仕事をしている。私はこんな人達に囲まれながら、新宿に住み続ける。

藤森玲子イラストギャラリー/新宿に生きる女

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